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ニュース [行革・民営化関連情報]

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榛原郡川根本町の梅津神楽 1月20日(土)に奉納します。

今週の行政改革・民営化関連情報

室町時代の応仁元年(1467)、京都は足利将軍家の相続争いから内乱が生じ、文明9年(1477)までの11年の間、東軍と西軍に分かれて、いわゆる応仁の乱の戦乱に明け暮れました。
 このころ、京都梅津(右京区)の里に住んでいた筑地氏は、一族を率いて都を落ち、信州飯田を経て深山に分け入り、この地にいたって村を開いたといわれます。(文化9年桑原藤泰著「はまつづら」より)
 村を開いた筑地氏は、京の梅津にちなんで梅津と名づけ(後世梅地となる)氏神を勧請して自ら神主となり、その社前で奉納したのが梅津神楽の濫觴(らんしょう)と伝えられております。
 梅津神楽は、梅地のこだま石神社、犬間の若宮神社の祭典の前夜祭に奉納されるもので、昭和31年から両神社隔年交互に行うようになり、昭和47年には静岡県無形民俗文化財の指定を受け現在に至っています。
 奉納は両神社の氏子らが一年交代で演じてきましたが、過疎・高齢化で氏子の数が減り、平成15年(2003年)から梅津神楽保存会(会員約30人)が中心になり、毎年1月の第3土曜日に奉納しています。若い後継者の育成を目的に地元児童が参加して、伝統の神楽の継承に努めています。

 この神楽を伝承する梅地・犬間(いぬま)の集落は大井川の上流、接岨峡直下の小集落で、険しい山の中に住んでの山仕事や、焼畑農業を行って生計を立てていくことは今では考えられないような危険や不安がつきなかったことから、家内安全、無病息災と豊作を神に祈ったのです。

〔写真:服部了士〕

幣の舞(2010年(平成22年)1月16日撮影)

左手に大幣束、右手に鈴を持った一人舞。全ての舞の基本となるもので、東西南北中央の五方をとりながら、時計回りに舞う。

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